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セイコーミュージアム銀座で時計の歴史を探ってみよう

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夜空にひときわ明るく輝く春の大三角形。うしかい座のアルクトゥールス、おとめ座のスピカ、しし座のデネボラが有名ですが、その他にも、北斗七星や春の大曲線など私たちの頭上には限りない宇宙が広がっています。

ここで疑問がわいてきます。なぜ私たちは「春」や「3月」のように今の季節や日付けがわかるのでしょうか。それに加え、どうして1日は24時間と決まっているのでしょうか。

今回はそんな時間や時計にまつわる不思議について、歴史をひもときながら考えてみましょう。

時間はいつ定められたの?

私たちはふだんから決められた時間のなかで生活しています。たとえば、学校の時間割では何時間めに何の教科を学ぶか決まっていますし、友達と遊ぶときも集合時刻を決めて集まりますね。

私たちの生活に欠かせない「時間」ですが、そもそも誰がいつ、定めたのでしょうか。

1年が365日の理由

一説によると、時間の歴史は古代エジプトまでさかのぼります。当時のナイル川は洪水によって上流から栄養豊富な土を運び、エジプトの農業を支えていました。しかし、洪水がいつやってくるかがわからず、逃げ遅れてしまう人も多かったとか。そんな状態が続いたある日、エジプト人は日の出とともに東の空から明るい星シリウスが昇って数日が経つと、洪水が来ることを発見しました。

それをきっかけに観測を進めると星の見え方が約365日でひとまわりしているとわかり、365日を1年とするカレンダーを作りました。これが世界最古のカレンダーといわれています。

時間は、月の満ち欠けと地球の自転をもとに決められている

1年が365日とわかりましたが、1日や2日ならともかく、100何日めにもなると1年のうちで今がどの季節なのかがわかりにくいですよね。そこで生み出されたのが「月」という考え方です。

夜空を見上げると、星空のなかに黄色く輝く月が浮かんでいますね。これをよく見てみると昨日と今日で形が違うことがわかります。月は新月(しんげつ)から始まって三日月になり、約2週間をかけてまんまるとした満月に変わります。そして同じように約2週間をかけて三日月になり新月へ戻ります。これは、地球が太陽の周りを公転している間に、月も地球の周りを約29.5日の周期で公転しているためです。

このように、月は新月から新月になるまでに約29.5日かかることから、昔の人は1月を約30日として計算し、暦として利用していたのです。

1日の長さも同じように夜空の動きをもとにして決められています。朝起きてから夜寝るまでに私たちの頭上には太陽が通りますが、お昼に太陽がもっとも高くなったときから次の日に太陽がもっとも高くなったときまでを「1日」と定めました。これは地球が太陽の周りを公転しているからですね。

でも、なぜ、1日を24分割しているのでしょうか。諸説あるものの、現在有力な説は、30日で1周期の満ち欠けを繰り返す月が周期を12回繰り返すと約1年になることから、「12」を1つの区切りとして用いたというものです。古代エジプトでも1日を昼と夜に分けてそれぞれを12で分けていたため、昼の12時間、夜の12時間で1日を24時間と定めていたともいわれています。

時計の歴史を振り返ってみよう!

このように当たり前のように使っている「時刻」と「時間」ですが、もしこれらがわからなかったらどうなるでしょうか。電車は時刻どおりに来ず、病院やスーパーマーケットがいつ開いているかもわかりません。毎日の生活もままならないのではないでしょうか。

そんな私たちの生活をつかさどる時刻や時間を正しく刻んでくれるのが「時計」。これまでにどんな進化の歴史があったのでしょうか。今回はセイコーミュージアム銀座の熊谷 勝弘さんにお話をうかがいました。

ーー本日はどうぞよろしくお願いします!

熊谷:

はい。よろしくお願いします。

世界最古の時計は石でできた「日時計」

ーーさっそく時計の歴史について聞いてみたいと思います。人類最古の時計はどんな形でしたか?

熊谷:

世界最古の時計は、古代エジプトで7000年ほど前に作られた「日時計」といわれています。地上にまっすぐに棒を立てて、その影の位置や長さでおおよその時刻を知っていたようですね。

熊谷:

セイコーミュージアム銀座に展示しているのは18世紀の中国で使われていた日時計ですが、太陽の動きに合わせて影が右から左へ右回りで動いていますよね。一説にはこの影の動き方が、みなさんがふだん使っている時計の針の回転の動きになったといわれています。

ただ日時計は太陽の出ない夜や雨の日には使うことができません。そこで考案されたのが「水時計」や「燃焼時計」です。水時計は器の底の穴から流れ出る水の量が同じになるように作られて、減った水面の高さで経過した時間を割り出していました。燃焼時計も原理は水時計と同じく一定のスピードで燃焼するローソクや線香などを使って経過した時間を割り出しています。

精度が上がるターニングポイントは「振り子の法則」の発見

ーー時間を知るために、世界中の人々が昔からさまざまなくふうを凝らしていたんですね。その時計が今のような形になるターニングポイントはどこにありますか?

熊谷:

やはり機械で時間を計る機械式時計の発明がターニングポイントではないでしょうか。最初の機械式時計は13、14世紀ごろに誕生しました。おもりを動力源とし、鐘の鳴る回数で時刻を知らせていましたが、おもりを巻き上げている間は時計の歯車が止まってしまい、正確に時間が計れない弱点がありました。

そこで生まれたのが「振り子時計」です。振り子にはガリレオ・ガリレイが発見した「等時性」という、振り子の長さが同じであれば振り幅が違っても周期が同じになる性質が使われています。

機械式時計では、振り子によって1日に30分ほどあった誤差が、数分程度にまで改善し、多くの人が正確な時刻を知ることが可能になりました。ロンドンにビッグベンという大きな時計台がありますよね。実はビッグベンも同じ振り子のしくみが使われているんですよ。

機械式時計が日本にやってきたのは1551年

ーー日本に時計がやってきたのはいつごろのことなのでしょうか?

熊谷:

日本に機械式の時計がやってきたのは1551年、あの有名なフランシスコ・ザビエルが持ってきたといわれています。ザビエルが持ってきた時計は、1日を24分割する機械式時計でした。ただ、当時の日本は昼と夜をそれぞれ6分割して1つの単位を「一刻(いっとき)」と読む「不定時法」を使っていました。不定時法では、一日のうちでも昼と夜の一刻の長さが違い、しかも昼夜の長さは季節によって変わるため常に変化していました。当時の日本人は農業が中心の生活だったため、太陽が昇ったら田畑で働き、沈んだら家に帰って休むというサイクルが身体に合っていたんですね。そのため、1日を24分割する機械式時計は使いにくかったんです。それで「不定時法」での時刻を知りたいと日本用に作られたのが「和時計」です。

熊谷:

機械式時計では、時間を刻む速さを調節する部品として、棒の両端におもりをつけた「棒テンプ」が用いられています。 不定時法では、一日のうちでも昼と夜の長さが違うため、和時計は、昼と夜それぞれで時間を刻む棒テンプを2本使うタイプも考え出されました。日本には四季があり、夏と冬では日の出と日の入りの時刻が違いますよね。ということは、不定時法の場合、同じ一刻でも夏と冬ではその長さが違うことになります。これを改善するために和時計では棒テンプのおもりの位置を変えて棒テンプの動きを速くしたり遅くしたりといったくふうが図られていたのです。だいたい2週間に1回おもりを動かしていて、そのためのマニュアルも見つかっています。

ーー時計を持っていない当時の人たちは、どうやって時刻を知ったのでしょうか。

熊谷:

江戸城内には「時計の間」があり、そこに和時計が設置されていました。そのため江戸城内は和時計を見ながら、太鼓をたたいて時刻を知らせていて、江戸城外はお寺などが順番に鐘を鳴らして時刻を知らせていたんです。たとえばいちばんめが本石町、二番めが上野寛永寺、そして三番めが市ヶ谷八幡のように、順番に鐘を鳴らして時刻を知らせていました。

この方法だと時刻がずれてしまうと思われますが、厳密にいうと日の出日の入りの時刻は江戸と大阪で違いますね。そもそも今のように「明日の10時に新大阪駅で待ち合わせ」なんてことは現実的ではないですから。それぞれの地域で時刻を管理する方法で当時は良かったんです。

クオーツの登場で、精度が格段に向上

ーーその後、セイコーの創業者である服部金太郎氏が1881年に服部時計店を創業したことからセイコーの歴史が始まります。

熊谷:

はい。服部金太郎は11歳のころに洋品雑貨店で働き出します。ある雨の日、洋品雑貨店には客足が遠のいて手持ちぶさたな時間があったようです。たまたま近所にあった時計店を見てみると雨の日でも時計の修理に励んでいました。そこで服部金太郎は販売だけでなく修理でも利益が見込める「時計」を仕事にしようと考え、時計屋になる決心をします。その後働き先を時計店に変え、時計修理や販売を学び、1881年に服部時計店を創業します。

その後、1892年には時計の修理や輸入販売から徐々に時計の製造に移り変わります。そうして20年が経った1911年には国産時計の約60%を占めるまでになりました。

ーー約60%!? すごいスピードでセイコーの時計が浸透していったのですね。

熊谷:

その後は関東大震災や戦争の時代を乗り越えながら時計の製造を続けていた1969年、世界初のクオーツ腕時計「セイコークオーツアストロン35SQ」を発売します。クオーツ時計は、電圧を加えると正確に振動するクオーツ(水晶)の性質を生かした時計で、1927年にアメリカでウォーレン・マリソンが発明し、日本でも1937年に古賀逸策が国産第1号のクオーツ時計を開発していました。セイコーは世界で初めてクオーツ時計の小型化・実用化を実現したのです。

熊谷:

機械式腕時計の時間を刻むてんぷの振動数は、高いものでも1秒間に10回ですが、クオーツの場合は1秒間に約3万3000回といわれています。振動数が高ければ高いほど精度が安定するといわれています。まさに桁違いの精度が特長です。セイコークオーツアストロン35SQは、大衆乗用車の価格が40万円ほどだった時代に45万円で販売されましたがすぐに売り切れてしまったそうです。

ーー1秒間に約3万3000回……。桁が違いすぎますね。

熊谷:

その後クオーツをベースに計算機がついていたり、テレビを見ることができたりと多機能なデジタル時計が作られました。今は地上デジタル放送に切り替わったので映像は写りませんが、それまでは見ることができたんですよ。

クオーツの時計は腕時計だけでなく身のまわりのさまざまなものに使われています。たとえば炊飯器のタイマーや車に搭載された時計、パソコンにもクオーツは使われています。そう考えると、クオーツ時計は日本の社会システムを支えているインフラともいえますね。

思えば、時計の歴史は約7000年前に誕生した日時計から現在まで、まさに日進月歩の発展を見せています。ふだん何気なく使っている時計ですが、一度立ち止まってその長い歴史を振り返ってみるとおもしろい発見があるかもしれませんね。

セイコーミュージアム銀座で伝え続ける時計の魅力

ーー世界各国から時計を収集、展示しているセイコーミュージアム銀座ですが、開館に至った経緯について教えてください。

熊谷:

セイコーミュージアムは、1981年にセイコーの100周年記念事業でセイコー時計資料館として設立されたことから始まっています。当時、100周年記念行事として社史の編纂なども候補に挙がっていましたが、セイコーの第3代社長の服部正次、副社長の服部謙太郎の時代から和時計や世界各国の時計を収集していたことや、日本の時計産業を発展させるためには資料の保存や研究ができる資料館が必要だと考えたことなどを踏まえ設立に至りました。

もともとはセイコーの製造工場だった精工舎(現セイコータイムクリエーション株式会社)内にセイコー時計資料館として誕生したあと、2012年には墨田区向島に移転しましたが、創業者・服部金太郎の生誕160周年記念事業の一環として、2020年8月にセイコー発祥の地である銀座へ移転し「セイコーミュージアム銀座」として新たに開館しました。

ーー今後、セイコーミュージアム銀座として取り組んでいきたいテーマは何ですか?

熊谷:

セイコーミュージアム銀座は「時と時計」に関する資料・標本の収集・保存・展示研究だけでなく、ふだんから子どもたちを対象にしたワークショップも開催しています。

たとえば「親子でクオーツウオッチを作ろう!」では、保護者と協力しながら子どもたちが本物の時計を組み立て、時計のしくみや進化を学びます。組み立ては細かい部品が多くたいへんですが、参加者のなかには組み立てた時計を何年も使い続けてくださる方もいて、ワークショップを楽しんでいただいているようです。今後もこうした草の根的な活動を通じて、時や時計の魅力について発信し続け、子どもたちに興味を持ってもらいたいですね。

ーー最後に、セイコーミュージアム銀座が考える「時計の魅力」とは一体何でしょうか?

熊谷:

時計は時間を知るための道具ですが、長く使っていくと「時間を一緒に刻んでいる楽しさ」や「感情移入できる関係性」が生まれてくるんです。たとえば、高校生のころにつけていた時計を見ると当時を思い出しますし、社会人になって初めて自分のお金で買った時計は今も大切に残しています。それに腕時計を修理しながら形見として次の世代に残すということもできますよね。

セイコーの歴史も創業者の服部金太郎が始めた時計修理から始まっています。その伝統は今も「セイコータイムラボ株式会社」として修理を専門にする部門に受け継がれています。最近はスマートフォンで時間を確かめる方も多くいらっしゃいますが、ときを一緒に刻み、長く使い続けられるのは、腕時計の大きな魅力ではないでしょうか。

ーー熊谷さん、貴重なお話をありがとうございました!


今回は、セイコーミュージアム銀座の熊谷さんにお話しいただきました。ふだん何気なく使っている時計。その歴史に着目してみると、昔の人の知恵やくふうがみつかりました。ぜひみなさんも身近で当たり前になっている物事について、家族で調べたり考えたりしてみてはいかがでしょうか。

セイコーミュージアム銀座では、セイコーホールディングス株式会社創業者・服部金太郎に関する資料やセイコー製品史だけでなく、日時計や機械式時計、そして日本の和時計など時計にまつわるさまざまな資料をご覧いただけます。新型コロナウイルス感染症対策として事前予約制を実施しているため、見学の際は以下のサイトへアクセスし、見学の予約をお願いいたします。

サイトURL:https://museum.seiko.co.jp/

また、今回お話をうかがったセイコーミュージアム銀座を運営するセイコーホールディングス株式会社では、「時計の技術革新を学び、未来の『豊かな時』を探求する」をテーマとするプログラム教材を、経済産業省のウェブサイト「未来の教室」STEAMライブラリーで公開しています。

プログラムでは時計を通して①社会のニーズ ②課題解決への挑戦 ③価値観の多様化 ④持続可能な社会 の4つの視点を学べます。ご興味のある方はぜひ、ご覧ください。

サイトURL:https://www.steam-library.go.jp/content/111


(参考文献)

松下清他編,2013年『算数おもしろ大事典IQ 増補改訂版』,学研プラス

織田一朗,2018年『時計の科学 人と時間の5000年の歴史』,講談社

セイコーミュージアム銀座,「セイコーと時計の歴史」(参照:2022-03-22)

/media/ひとふり編集部

ひとふり編集部

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